2011年06月23日
5期目のご報告です。
平成23年4月10日に行われました、第17回統一地方選挙・横浜市議会議員選挙で
多くの皆様のご付託を頂き、5期目を務めさせて頂くことになりました。
この度、市会において、下記、委員を拝命致しましたので
ご報告申し上げます。
≪常任委員会≫
政策・総務・財政委員会(委員長)
≪特別委員会≫
横浜経済活性化特別委員会(委員)
≪市会運営委員会≫
市会運営委員会(委員)
≪その他≫
横浜市会基本条例の制定に関する調査特別委員会(委員)
尚、自民党市連(党務)では、総務会長代理を拝命致しました。
地元・横浜にお住まいの皆様の為に、今季も頑張って参ります。
どうぞ、御支援のほど、宜しくお願い致します。
追記:
公職選挙法の規定により、不特定多数の方々に当選の御礼を
お伝えする事が出来ません。何卒、御理解のほど、宜しくお願い致します。
多くの皆様のご付託を頂き、5期目を務めさせて頂くことになりました。
この度、市会において、下記、委員を拝命致しましたので
ご報告申し上げます。
≪常任委員会≫
政策・総務・財政委員会(委員長)
≪特別委員会≫
横浜経済活性化特別委員会(委員)
≪市会運営委員会≫
市会運営委員会(委員)
≪その他≫
横浜市会基本条例の制定に関する調査特別委員会(委員)
尚、自民党市連(党務)では、総務会長代理を拝命致しました。
地元・横浜にお住まいの皆様の為に、今季も頑張って参ります。
どうぞ、御支援のほど、宜しくお願い致します。
追記:
公職選挙法の規定により、不特定多数の方々に当選の御礼を
お伝えする事が出来ません。何卒、御理解のほど、宜しくお願い致します。
Posted by 松本研 at
12:18
│横浜市会議員 松本研
2010年05月21日
市会議員・松本研のぷろふぃ~る
松本研とは・・・・・
昭和26年12月3日、横浜市中区で誕生。
身長165cm 体重59kg 血液型A型の濱っ子。
現在、妻・長女・長男とビーグル犬(オス)の4人と1匹暮らし。
キャッチフレーズは『勇気・元気・優しさ!!』
横浜市中区にある本町小学校を卒業後、浅野学園中学校、同高等学校を経て
関東学院大学経済学部経営学科を卒業。
医薬品販売会社勤務(5年)、病院勤務(3年)を経て診療所勤務(12年)。
医薬品販売会社では、セールス活動で社会人の厳しさを実感し
病院勤務では現場主義の大切さを痛感し
診療所勤務では、事務長として診療所経営の労力と喜びを実感することが出来ました。
平成8年10月横浜市会議員補選(中区)にて初当選。
以降、4期続けて当選。
現在、自民党横浜市連・政務調査会長を拝命。
昭和26年12月3日、横浜市中区で誕生。
身長165cm 体重59kg 血液型A型の濱っ子。
現在、妻・長女・長男とビーグル犬(オス)の4人と1匹暮らし。
キャッチフレーズは『勇気・元気・優しさ!!』
横浜市中区にある本町小学校を卒業後、浅野学園中学校、同高等学校を経て
関東学院大学経済学部経営学科を卒業。
医薬品販売会社勤務(5年)、病院勤務(3年)を経て診療所勤務(12年)。
医薬品販売会社では、セールス活動で社会人の厳しさを実感し
病院勤務では現場主義の大切さを痛感し
診療所勤務では、事務長として診療所経営の労力と喜びを実感することが出来ました。
平成8年10月横浜市会議員補選(中区)にて初当選。
以降、4期続けて当選。
現在、自民党横浜市連・政務調査会長を拝命。
Posted by 松本研 at
09:11
│横浜市会議員 松本研
2010年05月21日
ご挨拶
松本研のブログをご覧になって頂き、ありがとうございます。
私が横浜市会議員に初当選させて頂いたのは、平成8年10月でした。
それまで診療所に事務長として勤務し、俗に言うマイホームパパとして平々凡々と
日常を過ごしていた私には、まさに青天の霹靂の出来事でした!!
横浜市会議員をしていた兄の松本純(現:衆議院議員)が
衆議院小選挙区制の実施に伴い、国会への転出を決意し、
空席となる市会議員補欠選挙への立候補をなんと、選挙まで3ヶ月という時期に
打診されたのです!!
兄の選挙の時に事務所で手伝いをしていた程度で、
政治の世界のそれこそ右も左も判らない身でしたが、地域の皆様の後押しもあり
清水の舞台から飛び降りる覚悟で立候補を決断しました。
選挙は衆議院選挙と同時に行われ、多くの地域の方々の御力添えを頂き、
兄共々当選を果たす事が出来ました。
当選後まもなくのこと、ある高齢化が進む地域の老人会の方から
「多くの私道があり、道路は歩きづらく階段の段差も高いので困っている」との相談を受け
地域と行政との架け橋となり、少しずつ私道整備が進み、
今では誰もが安心して歩く事が出来る地域となっています。
相談をいただいた方は既にお亡くなりになっていますが、整備が進み始めた時の
ほっとした笑顔が今でも忘れる事が出来ません。
大都市横浜の将来に向けて政策提言をしていくことが、私たち議員の役割ですが
様々な地域を歩き、皆さんと一緒に安心と笑顔にあふれる地域を作っていきたい、
その気持を忘れずに日々、活動しております。
私が横浜市会議員に初当選させて頂いたのは、平成8年10月でした。
それまで診療所に事務長として勤務し、俗に言うマイホームパパとして平々凡々と
日常を過ごしていた私には、まさに青天の霹靂の出来事でした!!
横浜市会議員をしていた兄の松本純(現:衆議院議員)が
衆議院小選挙区制の実施に伴い、国会への転出を決意し、
空席となる市会議員補欠選挙への立候補をなんと、選挙まで3ヶ月という時期に
打診されたのです!!
兄の選挙の時に事務所で手伝いをしていた程度で、
政治の世界のそれこそ右も左も判らない身でしたが、地域の皆様の後押しもあり
清水の舞台から飛び降りる覚悟で立候補を決断しました。
選挙は衆議院選挙と同時に行われ、多くの地域の方々の御力添えを頂き、
兄共々当選を果たす事が出来ました。
当選後まもなくのこと、ある高齢化が進む地域の老人会の方から
「多くの私道があり、道路は歩きづらく階段の段差も高いので困っている」との相談を受け
地域と行政との架け橋となり、少しずつ私道整備が進み、
今では誰もが安心して歩く事が出来る地域となっています。
相談をいただいた方は既にお亡くなりになっていますが、整備が進み始めた時の
ほっとした笑顔が今でも忘れる事が出来ません。
大都市横浜の将来に向けて政策提言をしていくことが、私たち議員の役割ですが
様々な地域を歩き、皆さんと一緒に安心と笑顔にあふれる地域を作っていきたい、
その気持を忘れずに日々、活動しております。








